◆5月24日 旧東海道②・神奈川宿を歩く(終了しました)

長延寺跡(元オランダ領事館跡)
長延寺跡(元オランダ領事館跡)

 神奈川通東公園からスタートします。この場所には長延寺というお寺がありました。いまは緑区へ移転しましたが、開港時オランダ領事館が置かれていました。この地は神奈川宿の江戸方見付があった場所です。ここから西へ約3.5㎞、上台橋まで神奈川宿を歩きます。

 笠のぎ稲荷へ来ました。この稲荷神社は霊験あらたかで、通りすがりの旅人の笠が脱げることから笠脱ぎ稲荷と呼ばれていましたが、その後、笠のぎ稲荷と改められました。。

上無川跡(神奈川小学校)
上無川跡(神奈川小学校)

 神奈川小学校の横には神奈川宿の地図と、神奈川の名前の由来が書かれたタイル画が掲示されています。一説には水源地のわからない小さな川「上無川(かみなしがわ)」がなまって神奈川になったとか・・・。

熊野神社狛犬
熊野神社狛犬

 熊野神社の鳥居横にある二体の大きな狛犬です。右側の狛犬の足元では小さな子供の狛犬がじゃれています。とても珍しい狛犬の像です。神社の奥には二度の大火から再生した、火伏の大イチョウと呼ばれる樹齢400年の大木がそびえています。

金蔵院
金蔵院

 本堂横には、その昔徳川家康がこの寺院に立ち寄った際に枝を折ったと言われる「徳川家康御手折の梅」があります。住職はその後毎年1月にはその枝を1本折って登城したと伝わります。

高札場(復元)
高札場(復元)

 高札場は町内の掲示板のようなもので、キリシタン禁教や徒党の禁止などの定めが掲示されていました。他にも隣の宿場までの駄賃なども記載されていましたので旅人もそれを基準に駄賃を交渉しました。

成仏寺
成仏寺

 開国時にはアメリカ人宣教師の宿舎として使われていました。ローマ字で有名なヘボン博士も日米修好通商条約締結後の1959年に来日、ここに住んで医療活動や和英辞典の編纂に取り組みました。近くの宗興寺で医療活動に取り組みたくさんの患者を無料で診療しました。横浜居留地へ引っ越すまでの3年間を成仏寺で活動しています。

慶運寺
慶運寺

 皆さんが目を向ける先には観音堂があります。浦島太郎が乙姫様から頂いて帰ってきたと言われる観音菩薩像が祀られています。ご開帳は12年に1回、子年に行われるそうです。火事で焼失した観福寿寺に祀られていましたが、その後慶運寺に移され、今ではこの慶運寺が浦島寺と言われています。

滝の川・滝の橋
滝の川・滝の橋

 神奈川宿の中心にある滝の川です。この橋のたもとには高札場と2軒の本陣がありました。戦国時代にはこの滝の川は内陸部へ通じる重要な水路として利用されていました。この西側にある権現山はかつては本覚寺の丘までつながっていましたが、神奈川台場の建設や鉄道敷設地の埋め立てのために削られ、今では低い丘のようになっています。

本覚寺
本覚寺

 本覚寺へやってきました。ここは開港時にアメリカの領事館として使われました。栄西が創建したと伝わる臨済宗の古刹(現在は曹洞宗)です。ハリスがこの地を領事館として選びました。入り口には日米修好通商条約の締結に尽力した岩瀬忠震の碑があります。

大綱金刀比羅神社
大綱金刀比羅神社

 神社下の鳥居横には江戸から7番目の一里塚が設置されていました。この神社の下はすぐ港になっていました。金刀比羅さんは海上交通の守り神で、古くから漁師や船乗りなど漁労関係者から篤い信仰を受けていました。弁財天や大きな天狗様が祀られています。

広重「東海道五十三次 台の景」(保永堂版)
広重「東海道五十三次 台の景」(保永堂版)

 広重の「東海道五十三次」で有名な台町の坂を上ります。昔は海を臨む絶景の風景でしたが今は高層ビルの陰で、海は見えません。弥二さん、喜多さんも楽しんだ風景を想像しながら、神奈川宿の街歩きは終了です。