◆横浜の名建築・教会堂を中心に巡る(終了しました)

初代横浜駅
初代横浜駅

 明治5年、新橋・横浜間に鉄道が開通しました。当時の横浜駅は現在の桜木町駅です。駅舎はリチャード.P.ブリジェンスが設計しました。横浜の名建築のひとつでした。

鉄道創業の地
鉄道創業の地

 鉄道発祥記念碑には当時の時刻表や料金表、鉄道心得などが刻まれています。横浜・新橋間を53分で結び、1日9往復したそうです。鉄道の建設工事はイギリス人エドモンド・モレルが指導しました。

指路教会
指路教会

 ローマ字で有名なヘボンゆかりの教会です。初代の建物は高い尖塔を持ったゴシック様式の赤レンガ造の教会堂でしたが関東大震災で倒壊しました。現在の教会堂は1926(大正15)年の竣工で、仏初期ゴシック風の堂々たる建物です。内部は尖塔アーチの窓のほか飾りは無くシンプルそのものです。

横浜公園
横浜公園

 横浜公園内を通り、日本大通りへ向かいます。公園内は桜も終わり今はチューリップが咲き誇っています。

横浜海岸教会
横浜海岸教会

 日本人による最初のプロテスタント教会です。現在の教会堂は1933(昭和8)年に雪野元吉の設計で再建されました。造形は古典主義、プロポーションはゴシックで小規模ながら、独特の外観によって開港広場のランドマーク的な存在です。訪れたときは工事中で、残念ながらその美しい形を見ることはできませんでした。

横浜天主堂跡
横浜天主堂跡

 1862(文久2)年、仏人神父ジラールによって建築された、開国後では我が国初のキリスト教の教会堂です。正式名は「聖心聖堂」、俗に「耶蘇寺」と呼ばれていました。1906(明治39)年、老朽化により山手地区に移転しました。

ヘボン邸跡
ヘボン邸跡

 ヘボンは1859(安政6)年、10月に44歳で宣教医として来日しました。1862(文久2)年にこの地に移転、本格的な施療所を構えて医療伝道に取り組むとともにヘボン式ローマ字の創始や日本初の和英辞典の編纂に当たりました。またヘボン夫人のクララが開設したヘボン塾は、その後の明治学院やフェリス女学院の源流となりました。

山手外国人墓地正門
山手外国人墓地正門

 アメリカ人J・H・モーガンの設計。正門の鉄扉は華麗な鋳物細工だったが戦争中に供出、現在のものは2代目。モーガンはこの後巡る山手聖公会やベーリック・ホールも設計しました。いま、この地に眠ります。

横浜山手聖公会
横浜山手聖公会

 ノルマン風(ロマネスク)とゴシックが混在する英国中世のスタイルで、1931(昭和6)年に竣工しました。外壁に大谷石を貼った石造風の重厚な外観と正面の城砦風の鐘塔が特徴です。

カトリック山手教会聖堂
カトリック山手教会聖堂

 横浜天主堂の流れを引き継ぎ1906(明治39)年に山手に移転、震災後に建て替えられました。外観はネオゴシック風で、正面はステンドグラスの入った大きな尖塔アーチ型の窓となっています。教会堂内部にはプラハの街とチェコ人の聖人をモチーフにしたステンドグラスが飾られていました。

ベーリックホール
ベーリックホール

 イギリス人貿易商だったベリックの旧邸で、遺族がカトリック・マリア会に寄贈した建物です。2000年までセント・ジョセフ・インターナショナルスクールの寄宿舎として使用されていました。外観はスパニッシュ風で内部は英国式です。玄関の3連アーチや獅子頭をあしらった壁泉が特徴的でした。

代官坂(石川家)
代官坂(石川家)

 開港時、横浜村の名主で後に横浜町惣年寄りとなった石川徳右衛門(第11代)は日米和親条約の締結の際、会場設営や食料手配など一切を取り仕切ったそうです。ペリーが名主を町長と考え、表敬訪問したところから代官と呼ばれるようになりました。

この坂のすぐ下が元町商店街です。今日はこちらで解散となりました。皆様、ありがとうございました。