◆12月6日 日蓮ゆかりの鎌倉を歩く(終了しました)

本覚寺
本覚寺

  鎌倉新仏教のひとつ、日蓮宗の開祖である日蓮聖人(以下日蓮)は、鎌倉を中心にして布教活動を行いました。そのため、いまでも鎌倉には日蓮宗の寺院が多くあります。今日は、鮮やかな紅葉のなか、松葉ケ谷法難の地など、日蓮ゆかりの地を訪ねます。

 鎌倉駅にほど近い本覚寺から出発です。この寺院は永享8年(1436)一乗坊日出が開山しました。二世日朝が身延山から日蓮の遺骨を分骨したので東身延とも呼ばれています。日蓮が佐渡から鎌倉に戻ったときに、しばらくの間滞在しました。

夷堂
夷堂

 本堂の前方にある夷堂です。この地が大倉幕府の裏鬼門にあたるため、源頼朝が夷神を祀り鎌倉の無事を祈願しました。

妙本寺祖師堂
妙本寺祖師堂

 妙本寺です。この地は比企ケ谷といい、頼朝挙兵以来の有力御家人である比企能員の居館がありました。比企氏は北条一族に滅ぼされましたが、一族の菩提を弔うため日蓮の弟子・日朗を開山に迎え文応元年(1260)に創建されたと伝わります。

比企一族の墓所
比企一族の墓所

 境内に静かに眠る比企能員一族の墓です。境内には他にも二代将軍源頼家の子で、比企能員の娘・若狭局を母とする一幡の袖塚などがあります。

蛇苦止明神社の井戸
蛇苦止明神社の井戸

 若狭局は、比企氏一族滅亡の折、比企氏の家宝を抱いて井戸に飛び込み、蛇に化身して家宝を守ったと伝わります。妙本時建立の際には、若狭局の霊を鎮めるために蛇苦止明神として祀りました。

常栄寺(ぼたもち寺)
常栄寺(ぼたもち寺)

 妙本寺からすぐの場所にある常栄寺です。この場所に住んでいた桟敷の尼が、龍ノ口の刑場に引かれていく日蓮にぼたもちを差し上げたところ、日蓮は斬首をまぬがれ佐渡に配流となったので、「首つなぎのぼたもち」といわれるようになりました。常栄寺は慶長11年(1606)の創建で、境内に桟敷の尼夫妻の墓と伝わる五輪塔があります。

別願寺(足利持氏墓所)
別願寺(足利持氏墓所)

 別願寺にある、第4代鎌倉公方足利持氏の墓と伝わる多宝塔です。足利持氏の墓は、歴代鎌倉公方の墓とともに瑞泉寺にもあり、こちらにあるのは供養塔と思われます。

安養院
安養院

 つつじ寺として有名な安養院です。前身は、北条政子が頼朝の菩提を弔うために長谷に建てた長楽寺と伝わります。安養院という寺号は政子の法名から付けられました。

北条政子供養塔
北条政子供養塔

 本堂裏手にある北条政子の供養塔です。

妙法寺本堂
妙法寺本堂

 日蓮が開山の妙法寺へ来ました。妙法寺は安国論寺、長勝寺とともに松葉ケ谷法難の地と言われます。日蓮は「立正安国論」を文応元年(1260)前の執権北条時頼に上呈し、他宗を批判しました。そのため他宗から焼き討ちなどの苦難に遭いました(松葉ケ谷法難)。

 本堂の前、イチョウの黄葉が盛りです。

安国論寺
安国論寺

 安国論寺の本堂です。妙法寺と同様に、日蓮草庵跡と伝わります。お参りをしてから境内を歩きます。本堂の先には日蓮の高弟、日朗の御荼毘所もあります。

御小庵
御小庵

 安国論寺境内にあるこの御小庵は、尾張徳川家の寄進により元禄年間に建てられました。この奥に、日蓮が立正安国論を著した御法窟があります。背後の尾根道をたどると富士見台があり、日蓮が毎日富士山に向かって法華経を唱えられたと伝わっています。

 

長勝寺の紅葉
長勝寺の紅葉

 長勝寺は、この地の領主だった石井長勝が小庵を建て、日蓮に寄進したことから名付けられました。紅葉が見事です。

日蓮と四天王像
日蓮と四天王像

 長勝寺境内には巨大な日蓮と四天王像があります。この像は著名な彫刻家、高村光雲の作です。そして背後の帝釈堂(本堂)には、松葉ケ谷の法難の際に帝釈天の使いである白猿が日蓮を救ったとの伝えから、帝釈天と日蓮像が祀られています。鎌倉には日蓮ゆかりの地が多くあり、とても一日では回り切れません。またの機会に訪れたいと思います。

 今年の予定はこれで終了です。事故もなく無事に歩き終えました。参加いただいた皆さま、有難うございました。

 来年も良い年になりますよう、合掌。