◆7月18日 旧東海道③・保土ケ谷宿を歩く(終了しました)

帷子橋(新町橋)跡
帷子橋(新町橋)跡

 今日は旧東海道の宿場、保土ケ谷宿を歩きます。保土ケ谷宿は江戸から4番目の宿場で慶長6年(1601)の宿駅伝馬制度によって設置されました。相鉄線天王町駅前にある帷子橋跡から出発します。

浮世絵 保土ケ谷宿
浮世絵 保土ケ谷宿

 お馴染みの浮世絵、歌川広重の「東海道五十三次之内 保土ケ谷新町橋」(保永堂版)です。橋の長さは15間(約27m)、橋の幅は3間(約5.4m)ありました。昭和39年までこの地に橋が架かっていました。

香象院
香象院

 真言宗のお寺です。入り口に置かれた大きなお釜が目を引きます。幕末ごろにはこの隣に清墨庵先生の寺子屋があり、後に保土ケ谷小学校の分教場になりました。

金澤横丁石碑
金澤横丁石碑

 問屋場跡、高札場跡を過ぎ金澤横丁へ来ました。4つの石碑が並んでいますが、この道を左折すると円海山、杉田など観光名所を経て鎌倉へと通じています。一番左の石碑には「ほうそう神富岡の芋大明神への道」と刻まれています。

苅部本陣
苅部本陣

 道路の向こうに見えるのが苅部本陣跡です。本陣は公用の役人や公家、大名が宿泊する宿で、保土ケ谷宿には本陣が1軒と脇本陣が3軒、一般の旅人が宿泊する旅籠が67軒ありました。宿泊しない茶屋本陣も1軒ありました。苅部家は保土ケ谷宿が設置された時から本陣が廃止される明治3年まで11代にわたり本陣を務めました。

一里塚・上方見付
一里塚・上方見付

 お江戸日本橋から8番目の一里塚です。平成18年に保土ケ谷区制80周年記念事業の一環として一里塚、上方見付、松原が復元されました。今は今井川沿いの公園として区民の憩いの場所になっています。保土ケ谷の宿内はここまでです。

樹源寺
樹源寺

 樹源寺までやってきました。このお寺は保土ケ谷宿本陣苅部清兵衛の母が日蓮宗に帰依し、薬師堂の大欅(けやき)の傍らに庵を結んだのが始まりです。寺号の由来となった大欅は枯れてしまいましたが、見事な庭園が残されています。

権太坂
権太坂

 いよいよ難所として有名な権太坂です。江戸を出発して、最初の宿泊地である戸塚宿を目指す旅人たちにとって最後の難所です。一番坂と二番坂があり、厳しい坂越えだったことでしょう。権太坂の名前の由来は、坂の名前を聞かれた住民が自分の名前を聞かれたと勘違いして「権太だ」と答えたことから権太坂になったという説があります。

葛飾北斎 富嶽三十六景程ヶ谷
葛飾北斎 富嶽三十六景程ヶ谷

 権太坂からの眺望と言われています。富士山や大山などを今でも望むことができます。絶景を眺めながら疲れを癒したことでしょう。

境木傍示杭
境木傍示杭

 権太坂を越えると境木です。武蔵国はここまで、この先は相模国です。ここには大きな欅の木があったことから境木と呼ばれるようになりました。ここは権太坂、焼餅坂、品濃坂の難所があり、一休みするために立場が置かれました。この立場の「牡丹餅」が名物で、大繁盛したそうです。

品濃一里塚
品濃一里塚

 最後の行程、品濃一里塚へ到着しました。日本橋から9番目の一里塚になります。神奈川県下の東海道中で、ほぼ当時のまま現存している唯一の一里塚です。昭和41年に神奈川県の史跡に指定されました。約9m四方の大きな塚に大木が根を張り、うっそうとした佇まいです。旅人は木陰で一休みして今晩の宿へ急いだことでしょう。