◆旧東海道・戸塚宿を歩く(終了しました)

平戸果樹園
平戸果樹園

 今日は戸塚宿を歩きますが、まず旧東海道沿いに広がる平戸果樹園の中をしばらく歩きます。梨狩りの時期が終わり今は柿とみかんが最盛期です。

 この果樹園は昭和30年代に8件の農家が始めたそうです。長十郎梨と桃を植えたのが最初でした。今では梨、柿、栗、ブドウ、みかんなどが栽培され、季節になると果実の香りがあたり一面に漂います。

白旗神社
白旗神社

 果樹園からしばらく歩くと、神社の境内に出ました。平戸白旗神社です。

 この神社は乾元元年(1302)に勧請されたと伝えられ、源頼朝公の遺髪三筋がご神体とされています。神社の傍を通る道が鎌倉古道で、「左ぐめうし、右かまくら」と記された道標が境内に置かれています。今日は生憎雨のため、傘をさして解説を聞きます。

東福寺
東福寺

 白旗神社の隣にある永谷山東福寺に来ました。臨済宗円覚寺派の寺院です。行基作と伝わるご本尊の釈迦如来像と下馬薬師像、十二神将像を拝観させていただきました。下馬薬師は品濃の一里塚のそばに十二神将とともに安置されていましたが、何故か傍を通る人が落馬するため、東海道から離れたこの地に遷座したと伝わります。

光安寺
光安寺

 東福寺から1号線を渡ったところにある浄土宗の寺院、光安寺です。本堂の脇には法然さまの銅像があります。ご本尊は阿弥陀如来です。本堂の中には数体の雲中菩薩像が懸けられ、格天井には見事な天井画が描かれていました。

 入り口の脇には十王堂があり、閻魔様を中心に泰広王、初江王など十王像が安置されていました。

大山前不動
大山前不動

 旧東海道不動坂にある大山前不動にやってきました。江戸時代の石尊信仰は盛んで、たくさんの講中が戸塚から大山へ向かいました。この地は旧東海道から大山への分岐点で、4基の庚申塔、道標が集められています。

 旧東海道は、この不動坂で国道1号線と別れます。この1号線は、戸塚駅前の大踏切での渋滞を避けるために吉田茂元首相が建設させたので、ワンマン道路と呼ばれています。

鎌倉ハム発祥の地
鎌倉ハム発祥の地

 明治10年頃、英国人のカーチスが外国人専用ホテルを建て、客に提供するためハムを作ったのが日本でのハム製造の始まりと言われています。その後、地元の齋藤満平氏が製法を教わって鎌倉ハムを作り始めました。この赤煉瓦の建物はハムの冷蔵に使われた倉庫で、明治20年代に建てられましたが、厚さが1メートルほどもあり関東大震災にも耐えました。戸塚は横浜市に編入されるまで鎌倉郡であったため、鎌倉ハムという呼び名が付きました。

江戸方見附跡
江戸方見附跡

 江戸方見附跡です。ここから戸塚宿内になります。戸塚宿は戸塚、矢部、吉田の3町から成り、江戸からの旅人の1泊目の宿場として大いに栄えました。約2.2㎞の宿内には2軒の本陣、3軒の脇本陣と75軒の旅籠があり、神奈川県内では小田原に次いで2番目に大きな宿場でした。

 問屋場は3軒が交代で勤めました。宿駅が設けられたのは慶長9(1604)年です。

歌川広重画 東海道五十三次之内 戸塚
歌川広重画 東海道五十三次之内 戸塚

 歌川広重が描いた有名な浮世絵「東海道五十三次之内、戸塚」です。戸塚宿と言えばこの絵が思い起こされます。この橋のたもとに描かれた「左かまくら道」という道標は、今でも橋の近くにある妙秀寺に保存されています。

吉田大橋
吉田大橋

 浮世絵に描かれている吉田大橋ですが、随分様変わりしました。橋の両側には浮世絵のレリーフが飾られています。

清源院
清源院

 浄土宗の南向山清源院です。この寺院は徳川家康の側室だったお万の方が創建したお寺です。家康の危篤を聞いて駿河へ駆け付けたお万の方が、家康から拝領した歯吹阿弥陀如来像がご本尊です。大名行列が門前を通る時は槍を横にした、と伝えられています。

 今日は雨で足場がぬかるんでいたので行きませんでしたが、後方の墓地の上には「お万の方遺骸火葬跡」の碑もあります。その他にも境内には、芭蕉の句碑と心中句碑があります。

澤邉本陣跡
澤邉本陣跡

 宿駅伝馬制度ができた慶長6年には戸塚は含まれていませんでした。江戸から出発すると保土ケ谷宿の次の宿場は藤沢宿でした。保土ケ谷宿と藤沢宿の距離は4里9町もあり、権太坂、焼餅坂、品濃坂、大坂などの難所もたくさんありました。旅人はさぞかし難渋したことでしょう。慶長9(1604)年に戸塚宿が成立しましたが、その陰には澤邉宗三の尽力があったと伝わります。箱根を越える多くの旅人は、戸塚で1泊、小田原宿で2泊目を取りました。

富塚八幡宮
富塚八幡宮

 やっと雨も上がりました。今回のゴール地点、富塚八幡宮まで何とかたどり着きました。富塚八幡宮は富属彦命(とつきひこのみこと)をお祀りしています。神社の階段の上に前方後円墳があり、そこに富属彦命が葬られていると伝わりますが、発掘はされていません。富属彦命の塚があることから富塚八幡宮と称されるようになりました。「戸塚」の語源は、「富塚」が詰まったという説があります。

 

今日はここで解散です。足元の悪い中、お疲れ様でした。