◆旧東海道・藤沢宿を歩く(終了しました)

歌川広重「東海道五十三次之内 藤澤 遊行寺」(部分)
歌川広重「東海道五十三次之内 藤澤 遊行寺」(部分)

 古くから交通の要所として栄えた藤沢。江戸期には東海道五十三次の宿場町、また「大山参り」や「江の島詣」の拠点として、多くの旅人が行き交い賑わいました。それ以前、中世の時代は時宗総本山「遊行寺」の門前町、そして源義経伝説の地、現在は湘南の中核都市として発展しており、中世・近世・近現代の歴史が交錯する街です。今日は、連綿として続く藤沢の歴史を縦糸に、そこを彩る人々を横糸に、この街の大いなる魅力を、光と風を感じながら探っていきます。

庚申堂
庚申堂

 庚申堂です。本尊は悪鬼や病魔を払いのける青面金剛で、60年に一度、庚申の年に開帳されるそうです。境内には明治の廃仏毀釈のときに他の場所から集められた、たくさんの庚申塔が所狭しと並べられています。

遊行寺総門
遊行寺総門

 時宗総本山遊行寺、正式名は「藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさん むりょうこういん しょうじょうこうじ)」といいます。開山は一遍上人の孫弟子にあたる呑海上人です。この冠木門は日本3大黒門の一つといわれています。

一遍上人像
一遍上人像

 本堂前に時宗の宗祖、一遍上人の銅像があります。昭和45年の建立です。時宗は鎌倉新仏教の一つで、一遍上人は念仏を唱えながら全国を遊行しました。「網(阿弥)衣」とよばれる広い袖と襟が特徴の衣を着ておられます。これには、網で魚貝を掬い取るように、衆生を救済するという意味があるそうです。

遊行寺本堂
遊行寺本堂

 本堂は戦国期の永正10(1513)年に焼失しましたが慶長12(1607)年に再建されました。その後たびたび焼失・被災していますが、現在の本堂は昭和12(1937)年に再建されたもので、関東最大の木造建築です。国重要文化財の絹本著色後醍醐天皇像をはじめ多くの文化財が残されています。本堂脇の黄葉が青空に映え、秋の深まりが感じられました。

敵御方供養塔
敵御方供養塔

 境内にある敵御方(てきみかた)供養塔です。第4代鎌倉公方の足利持氏を打倒しようと兵を挙げた上杉禅秀の乱によって、両軍に多くの犠牲者が出ました。この乱では遊行寺にも戦火が及び、寺で自害する者や傷ついた者などが運び込まれました。両軍の犠牲者を敵、味方の区別なく供養しようと建立されたのがこの供養塔です。

小栗判官の墓
小栗判官の墓

 江戸時代、浄瑠璃や歌舞伎で有名になった小栗判官と照手姫が眠る長生院です。長生院に伝わる「小栗略縁起」は、常陸の豪族小栗判官がこの地で危難に遭い、遊女照手と遊行上人がこれを助けるという、紀州熊野にまで及ぶ壮大で波乱万丈の物語です。

諏訪神社
諏訪神社

 遊行寺を創建した呑海上人が勧請した諏訪神社です。旧東海道の江戸方見附跡の傍にあります。元々は東海道に面していましたが、街道を切通しとして切削したため結果的に山の中腹に位置することとなりました。

常光寺カヤの木
常光寺カヤの木

 藤沢宿にある常光寺に来ました。境内に続く寺林約8,900㎡(2,700坪弱)は、旧宿場町のなごりを残す樹林で市指定の天然記念物です。このカヤの木は樹齢300~400年ともいわれ、高さ25m、幹の周囲約5mの巨木で神奈川県の名木100選に指定されています。

弁慶塚
弁慶塚

 常光寺の境内にある弁慶塚です。この弁慶塚は義経を祀る白旗神社に向いて建てられています。

永勝寺
永勝寺

 法谷山祥瑞院永勝寺です。この寺院には東坂戸町の飯盛旅籠「小松屋」の墓地があります。此処には旅籠の主、小松屋源蔵の墓と飯盛女の墓碑39基があります。飯盛女の多くは無縁仏として葬られるのが常で、このように一人ひとりの墓が建てられるのは稀有な例です。

義経首洗い井戸
義経首洗い井戸

 31歳の若さで自害した義経の首は鎌倉へ送られ、腰越の浜で首実検された後、そのまま浜に打ち捨てられました。首は金色の亀に背負われ川を遡りこの地に到着、この井戸の水で洗い清められて葬られたそうです。首塚は井戸から北へ40mのところにあったと伝わります。

白旗神社
白旗神社

 最後の訪問場所は白旗神社です。白旗神社は一般的に源頼朝を祀ることが多いのですが、この白旗神社は源義経を祀っています。義経の怨霊に苦しめられた頼朝が藤沢奉行の藤沢次郎清親に命じて祀らせたと伝わります。坂戸町など藤沢宿西の総鎮守です。境内にある芭蕉の句碑に「草臥亭宿かる比や藤の花(くたびれて 宿かるころや 藤の花)」とあります。

 今日の散策はこれで終了です。お疲れ様でした。