3月29日(火) ミナト横浜の古建築を彩るステンドグラス(終了しました)

横浜英和学院
横浜英和学院

 今日は横浜の古建築とステンドグラスの歴史を訪ね、ステンドグラスの横浜マイスターである平山健雄先生と市内を巡ります。

 横浜市南区蒔田にある横浜英和学院は、1880年(明治13)、アメリカの女性宣教師ブリテンが山手居留地48番に創設したブリテン女学校が起源です。こちらのマカスリン礼拝堂は1908年(明治41)に献堂され、10枚のステンドグラスが嵌め込まれていました。その後校舎とともに蒔田に移転した礼拝堂には8枚のステンドグラスが残されていましたが残り2枚のステンドグラスは長い間行方がわかりませんでした。

横浜マイスター平山健雄氏の講演
横浜マイスター平山健雄氏の講演

 2枚のステンドグラスが発見されたいきさつ、発見時の状態や修復について、平山健雄先生にお話を伺いました。このステンドグラスは横浜最古でしかも、日本人のステンドグラス作家である木内真太郎氏のデザイン帳から同じデザインが発見されたことから、今までアメリカ製と思われていたステンドグラスが、日本製である可能性が指摘されました。

マカスリン礼拝堂
マカスリン礼拝堂

 横浜英和学院の現在の礼拝堂は1958年(昭和33)に鉄筋コンクリートに建て替えられましたが、内部の天井の梁やトラス構造は当時のままです。礼拝堂両側に嵌った8枚のステンドグラスを透して、朝の光が差し込んでいました。

横浜市立日枝小学校
横浜市立日枝小学校

 横浜市立日枝小学校です。1923年(大正12)9月1日、小田原沖を震源とする関東大震災により市内の小学校の大半が倒壊・焼失しました。横浜市では市内の小学校31校を復興小学校として位置づけ、再建に取り組みます。そして震災から守る設備基準として鉄筋コンクリート建てにすることや階段の一か所を斜路(スロープ)とすることなどが決められました。そして児童の衛生や精神面にも配慮したようです。

ステンドグラス
ステンドグラス

 昭和5年に建てられた小学校に設置されていたステンドグラスです。「栴檀は双葉より芳し」というデザインと考えられていますが、1982年(昭和57)に建て替えられたときに下部が失われたようです。

残された写真をもとに、生徒たちが失われた下部を描きました。


横浜市中央図書館
横浜市中央図書館

 横浜市中央図書館の前身、横浜市図書館は1921年(大正10)に横浜公園内に仮閲覧所を設けて開館しました。関東大震災によって焼失し、1927年(昭和2)に横浜市中央図書館として野毛山に新築・開館されました。ステンドグラスはその時に設置されたもののようです。

 設置された2枚のステンドグラスはアールデコ様式で、窓の装飾として用いられていました。オパルセントグラスが使われ、デザインはシンプルですが当時としてはとても高価なものだったそうです。矢羽のようにも、芽が出た植物のようにも見えますが、図書館だけに若人の成長を意識したデザインとも考えられます。

神奈川県立歴史博物館
神奈川県立歴史博物館

 神奈川県立歴史博物館は、1904年(明治37)に明治の建築家を代表する妻木頼黄の設計によって建設された、旧横浜正金銀行本店がその基礎になっています。ドイツネオバロック様式の近代洋風建築で国の歴史的建造物に指定されています。関東大震災で屋上のドームや内部を焼失しましたが震災後復興され、1967年(昭和42)からは県立博物館として使用されています。1995年(平成7)から県立歴史博物館として再スタートしました。

歴史博物館ステンドグラス
歴史博物館ステンドグラス

 馬車道側の入口天井部のステンドグラスです。1997年に設置されたようですが、イギリス様式のデザインでリース風の飾りがあしらわれています。材料はアメリカ製のオパルセントガラスが使われています。石造建築の建物によくマッチしたデザインです。

関内桜通り街燈
関内桜通り街燈

 関内桜通りの歩道沿いに、ステンドグラスを嵌め込んだ18基の街燈が設置されています。これは横浜マイスターの平山健雄氏の製作によるものです。18基の街燈にLEDのライトが埋め込まれており、3種類の色ガラスを使用して桜通りにふさわしい、暖かい華やかな雰囲気の光を醸し出しています。

横浜市開港記念会館
横浜市開港記念会館

 横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念して1909年(明治42)に計画、1917年(大正6)に竣工しました。関東大震災によって屋根と内部を焼失しますが、1927年(昭和2)に再建され、大きなステンドグラスが館内2か所に設けられました。

 

「箱根越え」と「呉越同舟」
「箱根越え」と「呉越同舟」

  「箱根越え」(右)と「呉越同舟」(左)は2階貴賓室の両脇を飾っていました。その上部には「鳳凰」と呼ばれるステンドグラスが置かれています。「箱根越え」「呉越同舟」など、交通の不便さを表現していると考えられますが、世俗的なことをステンドグラスにしているのは珍しいそうです。2009年(平成21)に平山マイスターによって大規模な修復が施されました。

ポーハタン号
ポーハタン号

 1階の階段室を彩っているのが「ポーハタン号」です。ペリーが1854年(嘉永7)、2回目に来日した時に乗船していたポーハタン号をデザインしています。

 これらのステンドグラスは誰のデザインによるものか判然としませんが、宇野澤ステインド硝子工場で製作されたものと言われています。今年、10ヶ所の修復が行われましたが、イギリス、ドイツ、アメリカ各国のガラスが使われているそうです。