12月5日(月)紅葉の大山詣で(終了しました)

 大山は古くから、神仏の宿る霊山として崇められてきました。農民は雨乞いの神として、漁民は海洋の守り神としてその雄大な姿を朝な夕な仰いできました。江戸時代には関所手形も不要で手軽な小旅行・物見遊山の観光地として賑わいました。また、鳶や火消など職人たちも講を組んで、巨大な木太刀や御神酒枠を担いで山頂の石尊大権現や大山寺の不動明王に参拝に訪れました。最盛期には年間20万人もの人々が訪れたと伝わります。このような庶民参拝のストーリーが平成28年度の日本遺産に認定されました。

良弁滝
良弁滝

 良弁(ろうべん)僧正(689~774)は華厳宗の僧で、奈良東大寺の初代別当で、大山寺の開山です。大山寺縁起絵巻によると、良弁は相模国司の子として鎌倉郡由比の里で生を受けますが、生後70日の時に金色の大鷲にさらわれ、奈良の大きな杉の木にある巣の中にいるところを覚明上人に助けられたと伝わります。良弁滝は良弁僧正が大山寺開山の天平勝宝7年(755)に最初に水行を行った地と伝わります。高さは一丈三尺(3.9m)で、広重や北斎の浮世絵でも有名です。

開山堂(良弁堂)
開山堂(良弁堂)

 大山寺開創の祖である良弁僧正を祀った「開山堂」と呼ばれる小堂です。東大寺二月堂のそばの大杉に懸けられた幼い良弁が、山王の使いである猿に助けられたという伝説に基づき、堂内には僧正43歳の像(真中)と、猿が「金鷲童子(こんじゅどうじ・良弁の幼名)」を抱いた像(向かって右)が安置されています。

権田公園
権田公園

 権田公園内にある権田直助の墓所です。権田直助は文化6年(1809)埼玉県入間郡の医者の家に生まれます。19歳で江戸幕府侍医のもとで漢方医学を修得し、天保3年(1832)23歳の時に、平田篤胤に入門して国学を学びます。明治6年(1873)阿夫利神社の祠官として神社再興に尽力しました。神事の整理や、信徒・御師の組織化などを行い、神道基準の神事を作ったといわれます。

とうふ坂
とうふ坂

 「江戸より参拝者たちがとうふを手のひらに乗せ、すすりながらこの坂を登ったという。昔ながらのたたずまいが数多く見られる参道である。(大山観光青年専業者研究会)」。大山は今でも豆腐作りが盛んで、豆腐料理店が多くあります。大山の清水が豆腐作りに適していたこと、坂を登る人々の空腹と乾いた喉を潤すのにちょうどよかったのかもしれません。当時は大豆を神社へ奉納したり、宿坊へのお礼や食事代を大豆で支払ったといいます。こうして集まった大豆を使って豆腐を作りました。

茶湯寺
茶湯寺

 誓正山涅槃寺(せいしょうざん ねはんじ)は通称「茶湯寺」とよばれる浄土宗の寺院です。死者の霊を百一日の茶湯で供養する「百一日参り」のお寺として有名です。亡くなられた方の霊は百日目に仏さまになられ、百一日目には、ご先祖様の仲間入りをされます。その日に家族の方が茶湯寺へお礼参りをすると、行き帰りに故人の霊にお会いできるといわれます。これは、大山はもともと死霊のこもる山で、大山信仰には祖霊信仰の要素が含まれているためと考えられています。

茶湯寺本堂
茶湯寺本堂

 茶湯寺のご本尊は「木造釈迦涅槃像」です。江戸時代の作で、伊勢原市の指定重要文化財に指定されています。この像は、釈迦が涅槃にはいったときの様子を表す等身大の寄木造りの像です。彫刻の涅槃像は日本では少なく、貴重な作といえます。

 また境内にはたくさんの石仏が立ち、徳本上人の六字名号碑や33観音像、光背「キ」と刻まれたお地蔵様の像などが並んでいます。

こま参道
こま参道

 大山のこまは神奈川名産100選に選ばれ、江戸時代から子供たちへの手軽な土産物として人気がありました。「人生がうまく回る」、「お金の回りが良くなる」として家内安全や商売繁盛の縁起物としても親しまれてきました。昔は参道に数十軒の木地師が軒を並べていましたが、今は数軒の店で300年来の伝統的技法を守っています。

阿夫利神社下社
阿夫利神社下社

 古代から信仰の山として崇敬を集めてきた大山阿夫利神社は、さかのぼること二千余年、第10代崇神天皇の頃の創建と伝わります。延喜式内社に属していることから10世紀前半以前であることは間違いありません。祭神は大山祇大神(主神)、高龗神(降雨・止雨の神)、大雷神(雷電神)の三神が合祀されています。

 納め太刀は、源頼朝が天下泰平・武運長久を祈願し、毎年自らの佩刀を奉納したことから始まったと伝わります。御神酒枠は神酒徳利を入れた挟箱を担いで登拝し、御神酒を徳利に入れて持ち帰り、講中の人たちに配ったそうです。

阿夫利神社本社
阿夫利神社本社

 山頂(1252m)の阿夫利神社本社です。石尊大権現が祀られています。社殿の下に大きな磐座(いわくら)があり、御神体は青い巨石と言われていますが、見た人はいません。関東総鎮護の神社として信仰を集め、近県から一年を通して参拝者が訪れます。

雨降山大山寺
雨降山大山寺

 天平勝宝7年(755)、良弁が建立したと伝わる真言宗大覚寺派の古刹です。大山寺は江戸時代までは大山中腹(現在阿夫利神社下社のある地)にあり、徳川家康、家光ら徳川幕府の庇護を受け本堂をはじめとして多くの伽藍が修理・造営されました。そして山頂の石尊社とともに大山信仰の中心として栄えていきました。

 ご本尊の不動明王と矜迦羅童子、制吁迦童子の三尊像は珍しい鉄造で、国の重要文化財に指定されています。これは鎌倉時代(1720年頃)大山寺中興の祖・願行上人の作と伝わります。大山のお不動さんとして関東の三大不動(他に成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺など)の一つとして親しまれています。